▶ 寺格とは
明治以降は政教分離で国家の認定が無くなったが、教団ごとに制度として残っていることがある。
圓龍寺は昭和8年時点では、上位から三番目の 国巡讃 となっています。
(明治45年と昭和8年時点の寺格は、下の真宗大谷派寺院録を参照、着実に向上してます)
圓龍寺が伏見から神野新田への移転が認められた明治29年は、本山に請願して一躍した 別除音 の
寺格を得た。(神野富田両家の功績が認められ、中位の寺格からスタートした)
▶ 寺格のランク
1912年(明治45年)の真宗大谷派の『大谷派寺院録』によると、「寺跡」として五ケ寺、巡讃、国巡讃、別格由緒、准由緒、助音、正一等別助音、一等別助音、准一等別助音、二等別助音、准二等別助音、別助音、准二等、院家、内陣、外陣、余間、飛檐、堂衆、准堂衆、平僧などがみえる。
▶ 昭和8年発行の圓龍寺の寺格
▶ 明治45年発行の圓龍寺の寺格