本山(京都東本願寺)関係
初代金之助は本山に対して多大な貢献をしており、財政再建を始め、両親と合同で鐘楼堂、四代重助と合同で菊の門を寄贈しています。 鐘楼堂と菊の門に付いて詳細を掲載していますが、鐘楼堂は第四回内国勧業博覧会にレプリカが出展されました。 圓龍寺には鐘楼堂のレプリカの現物と菊の門の絵画が保管されています。

▶ 神野家富田家と本山の信頼関係は厚かった

 ・初代金之助は東本願寺の財政再建に多大な貢献をしている

 ・父金平、初代金之助、四代富田重助は本山の世話役として長年勤め、本山よりの信頼も厚かった

 ・神野家・富田家は寄付や建物の寄進も行っている

 ・明治28年に本山は初代金之助の願いに対し、京都伏見の圓龍寺の寺籍を神野新田に移すことを許可した

 ・明治29年の神野新田完工式に本山より酒樽が寄贈された

 ・明治30年12月16日に本山より山号「神富山(シンプウサン)」が授けられた


▶ 豊橋別院


▶ 神野家富田家が本山に寄進した鐘楼堂と勅使門

 下の「鐘楼堂」と「勅使門」の写真をクリックすると、それぞれのページにリンクします


 ・鐘楼堂は上物が初代金之助で石垣は父母の寄進で、圓龍寺に保存の雛形は、明治28年に京都で開催された

  第四回内国勧業博覧会に出展された実物です

 ・勅使門は菊の門とも言われ、初代金之助と四代富田重助の連名で寄進されたものです


鐘楼堂(明治27年完成)

勅使門(明治44年完成)



▶ 明治25年の東本願寺

 ・この時点では鐘楼堂、勅使門は再建前、御影堂も阿弥陀堂も上棟式は終わってますが完成してません