神野富田両家(紅葉屋財閥)との関係

▶ 本堂に残る紅葉屋

 ・紅葉屋(モミジヤ)は富田家に養子に入った3代目富田重助が、弟・初代金之助と、父・金平とで舶来物で

  莫大な富を得た

 ・初代金之助は3代目重助が亡くなった後、その子(甥であり、後の4代重助)の後見人として紅葉屋を率い

  殖産事業でその富を拡大し、後に神野富田両家が紅葉屋財閥と呼ばれるようになった

 ・神野新田開拓は、紅葉屋財閥の身代をかけた一大事業であり、圓龍寺も住民の心の支えとして紅葉屋財閥

  が寄贈したもので、紅葉屋財とのつながりの痕跡は現在も圓龍寺に残っている

 ・明治30年12月16日に本山より山号が神野と富田より「神富山」が授けられた

 ・「神富山」の読みは「しんぷうさん」と圓龍寺に伝わっている(2022.05.14住職に確認済)

 ・左は初代鬼瓦のモニュメントで、中心には「紅葉屋」を現わすモミジ模様が施されてます

 ・中は本堂中央の梁のモミジの彫刻やランプシェードや軒先瓦や雨樋にもモミジ模様が施されています

 ・右は本堂右奥に仏壇が安置されていて、左に富田家(家紋は〇に十)、右に神野家(家紋は鷹の羽)の

  位牌が祀つられており、神野家・富田家の法要が何度も圓龍寺で行われてます


▶ 関係が深い方達

 ・神野金平、三代富田重助、初代金之助は役務や貢献で尾張藩から帯刀を許されていた

 ・初代/二代神野金之助と富田重助は明治銀行、名古屋鉄道、福寿生命・火災など多くの社長を歴任、神野

  三郎も豊橋を中心に企業を起こし経営した

 ・二代金之助は日本初のラジオ局設立を申請した(NHK前身の名古屋放送局と民放初のCBC)

七代神野金平(1812~1905年

 ・三代富田重助・初代神野金之助の父、四代富田重助・神野三郎・二代神野金之助の祖父

三代富田重助(1836~1876年

 ・初代金之助の長兄で15歳で紅葉屋に養子に入り舶来物販売で莫大な富を得るも、40歳で亡くなる

初代神野金之助(1849~1922年 

 ・兄の三代富田重助亡き後、神野家富田家(紅葉屋財閥)の当主となり、神野新田開拓では総責任者

四代富田重助1872~1933年

 ・三代目富田重助の長男で、父亡きあとは初代金之助の後見を受け紅葉屋財閥の共同経営者となり、神野新田

  開拓では資金調達を担当、初代金之助の没後は紅葉屋財閥の当主となる

神野三郎1875~1961年 

 ・初代神野金之助の姉の子(甥)で七代金平の養子となり、のち初代金之助の娘婿となり、神野新田の現地

  責任者として工事当初から赴任し、後に分家して豊橋神野家の初代当主となる

二代神野金之助1893~1961年 

 ・初代金之助の長男、四代富田重助没後は紅葉屋財閥の当主となる


▶ 両家専用玄関(玄関の鬼瓦にも紅葉)


▶ 両家の結束

 - 神野富田両家の家政要則 -

 ・明治24年、神野家と富田家が一体で有った事を示す財産の保全を目的に作られた規則

 ・神野家と富田家を実質的に統括した初代金之助が中心になって作ったものである

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家政要則告文の文章読み上げの動画

家政要則告文(現代語化)

 

 私より謹んで申し上げるに、先祖や両親より高徳や無限な大恩を戴き、その教えを守り、信用を失わないことで、後の世の子孫の繁栄を計ります。 祖先両親の訓戒をはっきりと証明し、家政要則を成立し箇条書きで明示し、内部には神野、富田両家の子孫を正道に導き、外部は親族間の助け合いの道を広め永遠に尊行させ、益々神野富田の土台を固め、神野・富田、及び両家より分家した相続人の慶福を増進しなさい。ここに家政要則を制定する。

 顧りみるに私は末っ子で、兄は4名あった。しかし3名は不幸にして短命にて亡くなった。一名は富田家に養子となり、同家を相続した。家の運営は慎重で手抜かりなく、業績はしっかり残した。しかし明治9年9月、黄泉の国に旅立った。享年40歳。ここに相続すべき者が無かった。やむおえず、兄の実子で、私の養子となった吉太郎を復籍させて相続人としたが、未だ5歳の幼児のため、家事を整理することは出来ず。そのため一時両家を合併し、両親の協力により、ここに至った。私は既に43歳になるが、未だ信認できる相続人は無い。したがって、もし誤って後の代の相続に於いて紛糾を生じる時は、両家の祖先、及び父兄に対し面目が立たない。これが家政要則が必要な理由である。思うに私は15歳の若さで、両親より戸主の大任を承継し、また28歳の時より富田家を併わせて引継ぎ、祖先両親の訓戒を守り、一生懸命仕事し勉強も怠らなかったが、恐れたり不足することが起こるかもしれない。そのため現在、及び将来の両家子孫、並びに分家、かつ雇人は、私のために、この要則を履行補佐する責任を任命する、親族一同はこれを補佐することを決心せよ、私は自から頭取となり、家業を整理し、後年には信認できる相続人を撰び、これに承継させて、共に一緒になって後の代まで永久に強固にすることを誓う。切に願うは先祖両親のご加護であります。 

                           明治二十四年二月十一日      神野金之助

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家政要則告文(原文)

 

 予謹而惟ミルニ 祖先両親ノ高徳無窮ノ鴻恩ヲ奉戴シ、旧図ヲ保持シ、敢テ失墜スルコト無ク、而シテ後代ノ隆盛ヲ計ラントス。

 祖先両親ノ訓戒ヲ明徴ニシ、家政要則ヲ成立シ条章ヲ明示シ、内ハ以テ神野、富田両家ノ子孫ヲ率由スル所ト為シ、外ハ以テ親族翼賛ノ道ヲ広メ永遠二尊行セシメ、益々神野富田ノ丕基ヲ固ニシ、神野、富田及両家ヨリ分家ナシタル相続人ノ慶福ヲ増進ス可シ。茲ニ家政要則ヲ制定ス。顧ミルニ予ハ季子ニシテ、兄ハ四名アリ。而シテ三名ハ不幸短命二シテ死ス。一名ハ富田家二養子シ、同家ヲ相続ス。家政慎重周到、共效績顕然タリ。終ニ明治九年九月、九泉ノ客トナル。行年四十歳。茲ニ相続ス可キモノナシ。不得止、予ノ養嗣子吉太郎ヲ以テ相続セシムト雖モ、未ダ五歳ノ幼児ニシテ、家事ヲ整理スルコト能ハズ。依テ一時両家ヲ合併シ、両親ノ補翼に倚り、茲ニ及ベリ。予既ニ四十有三二及ブモ、未ダ信認ス可キ相続人ナシ。然ルニ若シ誤テ後代ノ相続ニ於テ粉更ヲ生ズル時ハ、両家ノ祖先及父兄ニ対シ何ノ面目アランヤ。是レ家政要則ノ必要アル所以ナリ。按フニ予十五歳ノ若齢ニシテ、両親ヨリ戸主ノ大任ヲ承継シ、亦廿有八歳ノ時ヨリ富田家ヲ併続シ、祖先両親ノ訓戒ヲ守り、拮据勉励怠ラザルモ、或ハ恐ル其及バザルコト有ラン事ヲ。故ニ現在及将来ノ両家子孫並二分家且ツ雇人ハ、予ガ為メニ此要則ヲ履行補佐スルノ責ニ任ジ、親族一同ハ之レヲ補佐セラレンコトヲ期シ、予ハ自カラ頭取トナリ、家務ヲ整理シ、後年信認ス可キ相続人ヲ撰ビ、之レニ承継セシメテ、与二倶二 後代永久に鞏固ナラシメン事ヲ誓フ。庶幾クハ祖先両親之レヲ鑑ミ給マヘ。 

                                        明治二十四年二月十一日      神野金之助