寺格
寺格(じかく)は、寺院の宗教的地位や社会的地位により朝廷や幕府などの政府が認めた寺院の格式、および各教団が定める寺院の寺院等級です。 しかし、明治になり政教分離で国家認定は無くなりましたが、現在は各教団ごとに寺格制度が設けられています。 圓龍寺は昭和8年時点で上位から3番目の「国巡讃」で、三河地区では最高位です。 これは神野富田両家による鐘楼堂や勅使門の寄贈、多額の寄付、世話役の引き受け、および財政再建など東本願寺への多大な貢献によるものです。

▶ 寺格とは

 ・明治以降に政教分離で国家認定は無くなったが、各教団で定められており圓龍寺は昭和8年時点で

  上位から3番目の 讃  です。(明治45年と昭和8年時点は、下の真宗大谷派寺院録より)

 ・圓龍寺が伏見から神野新田への移転が認められた明治29年は、本山に請願して一躍した  別除音

  寺格を得た。(神野富田両家の功績が認められ、中位の寺格からのスタート)


▶ 寺格のランク

浄土真宗の本山寺院より

1912年(明治45年)の真宗大谷派の『大谷派寺院録』によると、「寺跡」として五ケ寺、巡讃国巡讃別格由緒、准由緒、助音、正一等別助音、一等別助音、准一等別助音、二等別助音、准二等別助音、別助音、准二等、院家、内陣、外陣、余間、飛檐、堂衆、准堂衆、平僧などがみえる。


▶ 昭和8年発行の書籍から圓龍寺の寺格


▶ 明治45年発行の書籍から圓龍寺の寺格


▶ 報恩講冥加金から見た圓龍寺(国巡讃)の位置

 ・冥加金は本山での報恩講時に納めるお布施と思われます

 ・別院を除く一般のお寺では、「国巡讃」は上から3番目の位置で、十等別院より金額が多い

 ・昭和8年時点では、豊橋別院は6等別院、岡崎別院は5等別院、名古屋別院は1別院です